プロローグ ~二十一歳のあたし~
待合室で待つこと数分、吉谷さんは笑顔でやってきた。
「やあ、美代ちゃん、こんにちは。また原稿を上げるのが早くなったね」
「さんざん吉谷さんに鍛えられましたからね。それに最近、描くのがまた楽しくなってきたんですよ」
「うんうん。成長してるねー。ボクの最近の一押しなんだよ、美代ちゃんは」
吉谷さんはにこにこと向かいのソファーに座った。
このひとは、吉谷一樹さん。某超有名出版社の若手編集者だ。
若手と言ったって、もう三十歳は越えている。それでも二十一歳のあたしからは見ればうんと大人だ。実際、実力もかなりのものらしい。これまでにもいくつもの人気マンガを世に送り出してきたそうだ。
でも、あたしはもう彼と会ってもあまり緊張しない。
なんだかんだでもう五年以上の付き合いだし、なにより、死ぬほどダメだしを喰らいまくっていた数年前と違って、自分の描いたマンガにそれなりの自信がついてきたからだ。
「またまた。のせようったってそうはいきませんよ」
だからこんなことを言い返す余裕もある。
「いやいや、ほんとだって。まあなにはともあれ、原稿を拝見」
「お願いします」
あたしは封筒のなかから昨日描きあげたばかりの原稿を取り出し、吉谷さんに手渡した。
吉谷さんは笑顔でそれを受け取り、さっそく読み始める。
しばしの沈黙。このときばかりはさすがにいくらか緊張する。でもやっぱりそれにも結構慣れてきている。思いもよらぬダメ出しを喰らうことも含めて。
でも、どんなに酷評を受けようと、私は私の作品を絶対に世に出そうと決心しているので、絶望することはない。
だって、諦めたりなんかしたら、きっとあの子に怒られてしまうから。
私の作品にいつもモデルとして登場している、あの友人に。
彼女の名は、弥生という。
天然ボケで甘えん坊で、関西出身じゃないのに関西弁を使うという不思議極まるポケポケ娘だ。いや、ポケポケ娘だった。
だけど、今はもういない。
いやいや、いないけれども、いる。
ありきたりすぎる言葉だけど、あたしの心のなかに、彼女は今でも変わらずに存在している。その証拠に、あたしの作品に彼女はすぐに顔を出す。ひょっこりと。昔と変わらぬ図々しさで。「いや~、また来てもうたわ~」とか、ぬけぬけと嘘関西弁で言いながら。
そんなことを考えていたら、またあたしは彼女のことを思い出してしまった。
あの青い空と、暑い日差しと、山奥の星空を。
あたしが弥生のことを思い出すときは、決まっていつも、あの旅のことばかりだ。
そう、高校一年生の夏休み、弥生がこの世を去った、あの夏の。
あたしは膝に乗せたカバンに手を触れながら、過ぎし日の思い出をなぞり始めた。
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