夏空 26

「うん。弥生は気にしないで遊んでていいわよ。あんたも風景の一部なんだから」
「りょーかーい。美人に描いてなー。……わっ、カエルや。かわいーなー。ウチもちょっと川に入ってみようかな」

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 弥生は靴を脱いで川に足を踏み入れた。

 が、つま先が水面に触れた途端に、足を引っこめる。

「うわ、冷たい。これはあかん、撤退や」
 
と言ったものの、まだ未練が残っているのか、再び恐る恐るつま先を水面に近づけてたりしている。子供そのものである。

 あたしはその様子を眺めながら、ノートにペンを走らせる。

 夏の日差し。キラキラと輝く水面。風にそよぐ草。時の流れのゆるやかな世界。

そしてその真ん中で、初めての旅行を子供のように楽しんでいる、あたしの親友。

彼女の喜びを、笑顔を、この絵の中にとっておきたいと思った。

「うっし、出来た」

 それから三十分ほどで絵は完成した。

 正直、結構良い出来だと思う。

「どれどれー、見せてやー」

 さきほどからずっと岩陰で屈んでなにかをしていた弥生が、こちらに駆け寄ってきた。

「いいわよ。……って、なに持ってるのよ!」

弥生は両手に赤い生物を掴んでいた。

「ザリガニやー。ちょっきん、ちょっきん」
「逃がしてあげなさい。というか、なんでも無闇に素手で捕まえるんじゃありません」
「はーい」

 弥生は素直にザリガニを川に戻した。

 ああ、びっくりした……。ザリガニなんて久しぶりに見たわ。

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 それから、弥生はあたしの絵を受け取ると、

「おー! 結構ええやん、美代ちゃん!」
「でしょ。あたしも正直、自信あったのよ」

 あたしは久しぶりに誰かに自分の絵を褒められたので、つい調子に乗ってしまった。

「やっぱ将来の大物ギャグマンガ家はちゃうなー」
「感動マンガだっつーの」
「あはは。でも、うん。ホンマにええ絵やなー。ウチ、めっちゃ楽しそうや」

 あたしの絵のなかの弥生は、川面に足をつけて楽しそうに笑っている。

 その笑顔は、今、弥生が浮かべているものとまったく同じだ。

「絵が楽しそうに見えるのは、実際のあんたが楽しそうだったからよ」
「えへへ、やっぱりかー。テレビでしか見たことない生き物がいっぱい見られたからなー」

 弥生は嬉しそうに笑った。

「やっぱ旅に出て正解やったなー、美代ちゃん」
「そうね」

 あたしも笑った。

 本当に、この旅に来て良かったと心から思う。

 そして、この旅が永遠に続いてくれたらなぁ、とも密かに思う。

 弥生といつまでも一緒にいて、笑い合えたらどんなに良いだろうと思う。

 だけど、それは叶わない望みだ。弥生はもうすぐいなくなってしまう。

 夏の終わりとともに消えて無くなってしまう、このセミの鳴き声のように。

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