夏空 33


「そのとき、周りには誰もいなかったんですか?」
「いなかったよ。おかげであたしは赤ん坊を抱いたまま山を下りたんだ。落っことしやしないかと思ってヒヤヒヤしたよ」

スポンサーリンク

「その赤ちゃんの親の手掛かりになるようなものとかも、なにもなかったんですか?」
「なかったねえ。普通、捨て子っていったら、書き置きくらいありそうなものだけど……ひどい親がいるもんだねえ」

 徳子さんはそこでふと首をかしげた。

「どうしてそんなことを訊くんだい?」
「あ、いや、単なる興味本位です」
「そうかい。……残念だね」

 徳子さんは意味深なことを言った。

「それって、どういう意味ですか?」
「いやね、これはあたしの思い違いかもしれないけど、もしかしたらあの赤ん坊、香織ちゃんの子供だったんじゃないかって思ってるんだよ」

 身が強張った。あたしは咄嗟に弥生を見た。弥生も驚いた顔をしていた。

 あたしは訊いた。

「どうして、そう思うんですか?」
「なんて言うのかね、直感って奴だよ。赤ん坊を拾い上げて、捨て子だって分かったとき、もしかしたらこの子、香織ちゃんの子なんじゃないのかってね……なんの根拠もないんだけど、ふと思ったのさ。赤ん坊の顔も、なんだか似ているような気がしたからねえ」

スポンサーリンク

「確認は取らなかったんですか?」

 弥生の問いに、徳子さんは首を振った。

「思いつきでそんなこと警察に言えるわけないからね。あたしは何も言わなかったよ。確認を取ろうにも、どっかのお弁当屋さんに就職したってことぐらいしか聞いてなかったからね。連絡がつかなかったんだ」

 どうやら香織は中学校を卒業後、お弁当屋さんに就職したらしい。

「そのお弁当屋さんの名前、思い出せませんか?」
「さあね。なにしろ十六年前のことだし、この町も駅の方は結構栄えてるからね。お弁当屋なんていくつもあるだろうし……それに、そんな必要もなかったんだよ。ちょっと時間は後になったんだけどね、その半年後くらいに、香織ちゃんの居場所が分かったのさ」
「居場所を知ってるんですか?」

 徳子さんの意外な発言に、あたしは思わず声を大きくした。

 今までの経緯から、てっきり葉山香織は現在も行方不明だとばかり思っていたからだ。
「お前さんたち、香織ちゃんに会いたいのかい?」

 徳子さんが訊いた。なんだか含んだような言い方だ。

「はい。なんだか気になっちゃって」
「そうかい」

 徳子さんが頷く。

 それから、しみじみと遠くを見るように言った。

「そうだね。その方が香織ちゃんも喜ぶだろう。会ってやっておくれ。会って、あたしの分もお線香をあげてきておくれ」

スポンサーリンク

前へ 次へ 作品一覧へ

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA