夏空 40


「それで、香織さんはこのお店に転職してきたんですね」

 あたしは先を促した。

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「そう。そのころウチで働いていた子とたまたま知り合いになったらしくてね。その子の紹介でやってきたのよ。それから、二年ぐらい働いてもらったわね」

 つまり、十八歳までここで働いていたのか。

「あの、香織さんは人見知りだったって聞いてたんですけど、それでもこういうお店で働けるものなんでしょうか?」

 あたしは素朴な質問をぶつけてみた。

 すると陽子さんはあたしの顔をじっと見て、

「美代ちゃんだったわね。あのね、酒場で働いている子っていうのは大抵みんな人見知りなのよ」
「え?」
「人見知りで、寂しがり屋で、傷つきやすいから酒場で働けるの。偽りの自分で相手が出来るから」
「あ……」

 それが正しいのかどうかは分からない。きっと陽子さんの個人的な意見にすぎないのだろう。そうでないひともたくさんいるに違いない。

 ただ、そのときのあたしは妙に納得してしまった。

「もちろんそういうのは、生まれ育った環境の影響が大きいんでしょうけどね。だけど、同じような心の弱さを抱えていてもね、やっぱり色々な子がいるのよ。しっかり将来を見据えてお金をためて、自分の人生を生きようと努力する子もいれば、香織ちゃんみたいに、胸のなかの寂しさを紛らわすために、そのときそのときの楽しさや欲望に逃げ込んじゃう子もいるわ。そしてすぐ、騙される」
「騙される?」
「男にね、捨てられたのよ。妊娠してすぐ」

 あたしは絶句した。

 隣で、弥生も身を強張らせる。

「そんな、どうして……?」
「ロクでもない男を掴んじゃったのよ。ううん、いつもそんな男とばかり付き合ってたわね」

 陽子さんは、記憶のなかで香織を戒めるように、沈痛な面持ちで言った。

「さっき言った通り、こういうお店には色々な心の悩みを抱えた子がやってくるわ。でもね、それでもみんな一生懸命に生きてるの。だけど、なかにはその生き方を間違えちゃう子も少なくないのよ。香織ちゃんみたいにね」
「……………」
「あの子はいつも、幸せになりたい、幸せになりたい、って言ってたわ。私は生まれたときからずっとなにも持ってなかったから、絶対に幸せになってやるんだってね。だけど、あの子が手に入れようとしていたものはいつも、見せかけの幸福でしかなかったわ。ブランド物の洋服だとか、流行りの海外旅行だとか、あと、恋愛もね」

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