夏空 64


「うわあ……」

 と声を漏らしたのは、あたしと弥生のどちらだったのか。

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 それさえも分からないほど、あたしたちは目の前の光景に圧倒されていた。

 小さな展望台だった。木の柵で囲まれた狭いスペースのなかに、ちょこんとひとつ、正面にベンチが置かれているだけだ。

 そのベンチの向こう、町を挟んだ山々の稜線の間から、燦々と輝く白銀の太陽が顔を覗かせていた。

 山も町も、あたしたちを取り巻いていたすべての闇が打ち払われ、青い空の下に、黄金色に染まった輪郭を浮かび上がらせている。

 それはまるで世界が始まる瞬間を見ているような、神聖で荘厳なひとときだった。

「すごい……」

 弥生はあたしの肩から腕を引き抜き、吸い寄せられるようにベンチの方へ歩み寄った。

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 あたしもその後に続く。

 木の手すりに両手をつき、弥生は吐息のように呟く。

「綺麗や……」
「うん。綺麗ね……」

 あたしも目の前の光景に見入りながら呟いた。

「あんたのお母さんがよく見に来ていた気持ちがよく分かるわ」
「そうやなあ」

 柔らかい風があたしたちの頬に触れた。山頂の風はひんやりとしていて、火照った頬にはとても気持ち良かった。

 夏が終わりかけているのだ。

 だけど、目の前に広がった空は、この旅の間に見たのと同じ、いやそれ以上に、青く澄んだ夏の空だった。

 だから、夏はまだ終わらないのかもしれない。

「ウチ、ここに捨てられとったんやな」

 ふと、弥生が足下のベンチを指差した。

 それはどこにでもある、木製の小さなベンチだった。

「十六年前、ウチのおかんは、どんな気持ちやったんやろか」
「辛かったんじゃない? やっぱり。自分の子供を捨てなきゃならなかったんだもの」

 十六年前の葉山香織と同じ場所に立っているせいだろうか、あたしはなんだか、今なら彼女の気持ちが分かるような気がしていた。

 弥生は安心したように、

「そっか。それならもうええ。もう恨みっこなしや」

 と言って、再び山の方に目を戻した。

 それからぽつりと、

「この日の出を見ると幸せになれるっていう話、今ならちょっと分かる気がするな」

 と言った。

 あたしはその横顔を眺めていたら、ちょっとだけイタズラ心が頭をもたげてきて、にやにやと笑いを堪えながら弥生に話しかけた。

「弥生弥生。もっと幸せになれること言ってあげようか?」
「へ?」
「誕生日おめでとう」
「え?」
「生まれてきてくれてありがとう」

 その瞬間、弥生の顔がボッと赤くなった。

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