夏空 65


 それから、泣き出しそうな顔であたしを小突いて、

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「な、なんやそれー! 全然幸せちゃうわー! クサすぎるでー!」
「ぷくくくく。だってしょうがないじゃない。思いついちゃったんだもの。それにちゃんとこれもあたしの本音よ?」
「そんなんいらんー。感動話なんて大嫌いやー」

 弥生はポカポカとあたしを叩いた。

 くくくく、照れてる、照れてる。かわいいやつめ。

 と、そのとき、あたしはふと弥生の頭越しに何かが動いていることに気がついた。柵の向こう、この展望台に続く道を誰かが登って来ているのだ。

「あれ? 弥生、誰か登って来たみたいよ」
「へ? あ、ほんまや。こんな時間にわざわざ山に登ってくるなんて、変わったひともおるもんやな」
「いやいや、あたしらもひとのこと言えないっての。でも、ひとりみたいよ」
「まさか、子供捨てに来たんとちゃうやろな」
「まさか……」

 あたしたちは柵から身を乗り出して、その人影に目を向けた。

 そしてすぐに、その正体に気づいた。

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「あっ、徳子おばあちゃんやん!」
「ああ、そう言えば、五十年間、毎日この山で日の出を見てるって言ってたもんね」 

 疑っていたわけではないけど、あたしは改めて驚嘆してしまった。

 ほんと、ものすごい精神力だ。それに日の出の時間に合わせて身体が勝手に目覚めてしまうというのもすごい。まさに人間時計である。

「十六年前の今日も、徳子おばちゃんはこの時間にここに来て、ウチを見つけてくれたんやろなぁ。命の恩人に感謝せなあかんな」
「そうね」

 その、瞬間だった。

 雷が閃くがごとく、あたしのなかですべてのピースがひとつに繋がったのは。

「あ、あーっ! そうか、そういうことか!」

 あたしは興奮のあまり、つい大声をあげてしまった。

「うわ、なんや美代ちゃん、急に大声出してどないしたんや?」
「分かった、分かったのよ、弥生。葉山香織がこの山にあんたを捨てた理由が! そうよ、この場所じゃなきゃダメだったのよ! この時間じゃなきゃダメだったのよ!」
「へ? へ? な、なんのこと言うとるんやぁ、美代ちゃん!」

 あたしは興奮しすぎて上手く喋ることが出来なかった。

「だからさ、葉山香織は絶対にあんたをロクデナシの父親に渡したくはなかった。だから知り合いに預けることも絶対に出来なかった。あんたを手放して誰の子供か分からなくするしかなかったのよ。だけど、あんたには幸せになって欲しかった。だからどうしても信頼の出来るひとに拾って欲しかった。拾って、きちんと安全な施設に届けて欲しかった。だから確実にそのひとがやってくる時間と場所にあんたを置いていったのよ。書き置きも残さずに。このひとなら大丈夫だって信じてたから」

 弥生が目を見開いた。

 あたしは言った。

「葉山香織は徳子おばあちゃんにあんたを預けていったのよ。あんたのことが大切だったから、一番信頼できるひとに託していったのよ!」

 じわり、と弥生の目に涙が滲んだ。

 弥生はそれを見られないように、あたしから顔を逸らした。

 そのときだった。背後から聞き慣れた声がした。

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「香織ちゃん? 香織ちゃんかい?」

 振り返るとそこに徳子さんが立っていた。

 目が、ほんのわずか開いている。

 どうやら今は見える時間のようだ。

 だけどそれはぼんやりしたもののようで、弥生のことを葉山香織と見間違えているようだった。

 それとも、幻を見ているのかもしれない。

 振り向いた弥生の顔を見て、徳子さんは嬉しそうに涙を流して笑った。

「ああ、良かった。香織ちゃん、ようやく幸せになれたんだねえ。嬉しそうな顔して、やっと幸せになれたんだねえ」 

 絞り出すような声だ。

 ああ、葉山香織がこのひとに弥生を託していった気持ちが分かる、とあたしは思った。

 あたしは隣の弥生を見た。

 涙のしずくが頬を伝っていたが、弥生はこの旅で一番の、とびきりの笑顔を浮かべて、徳子さんに向かって胸を張って言った。

「うん。ウチ今、メッチャ幸せや!」

 柔らかな朝の陽ざしがそっとあたしたちを包みこんで、優しく優しく、長い夜が明けたことを教えてくれた。

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