夏空 71


 いつもはひょろっとしていていかにも頼りない文系の父親といった感じの父だが、葬儀の準備が始まってからというもの別人のように頼もしく見えた。

スポンサーリンク

「どうかしたの、お父さん」
「いや、お前のことが気になってな。様子を見に来たんだが、大丈夫みたいだな」

 大丈夫、の意味がよく分からなかったが、とりあえずあたしは頷いておいた。

 大丈夫と言えば、大丈夫だし。

 大丈夫でないと言えば、この上なく大丈夫ではないのだから。

「それから、お前にこれを渡しておこうと思ってな」

 父は一瞬、ためらうような仕草を見せたあと、手に持っていたなにかをあたしに差し出した。

 それは弥生が使っていた大学ノートだった。

「これも佐山さんから預かっていたんだ。お前が落ち着いたら渡してくれと。……弥生ちゃんの遺言らしい」
「弥生の……?」
「お前に受け取って欲しかったんだそうだ。あの旅の思い出を」

 父はそう言って、ノートをさらに突き出した。

 あたしはそれを、ためらいがちに受け取った。

スポンサーリンク

「本当はもっと時間が経ってから渡すつもりだったんだけどな。どうせなら一気に受け止めてしまった方がいいのかもしれないと思い直して、持って来たんだ」
「お父さん……」
「父さんもな、昔、親友を失くしたんだ」

 突然、父が言った。

 あたしは父の顔を見上げた。

「二十一のときにな。小学校からずっと一緒だった友達で、交通事故だった。最初はなにがなんだか分からなかった。だけど次第に涙が止まらなくなってな。もう一生泣けなくなるんじゃないかってくらい泣いて、そのあとで思ったんだ。あいつの分まで死ぬ気で生きてやろうって。そうすればあいつは死なないって。ありきたりな言葉だけどな、今でもそう思い続けてるよ」

 父は寂しそうに笑って、それから、続けた。

「無理に忘れることはないぞ、美代。思い出と一緒に生きていけばいいんだから。人間って、そういうものだろう?」

 あたしは無言で、力無く、あいまいに頷いた。

 共感したような、していないような、よく分からない気分だった。

 ただ、時間が欲しいな、と思った。受け止めるだけの時間が。

「それじゃあな。風邪引くなよ」

 父はそう言って二階に戻っていった。

 あたしはふたたび、棺桶の前に戻った。

 ただし今度は、弥生に背を向けて。

 あたしはちらりと背後の弥生を振り返り、

「読んでもいいのよね。あたしのノートあげたんだから、おあいこよね」

 と念を押してから、ノートを開いた。

 それは絵日記というよりも、描きためた絵に思いついたタイトルや、簡単なコメントを書き足しただけのものだった。

スポンサーリンク

前へ 次へ 作品一覧へ

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA