一番最初は、電車のなかで描いたあたしの似顔絵だった。下の方に文字が書いてあった。
『今日から旅の始まり。わーい!』
わーいという言葉がいかにも弥生らしい。あたしはつい微笑んでしまった。
旅の間に何度も絵は見せてもらったが、見慣れない絵も多くあった。たぶん後になってから思い出して描いたのだろう。
そのひとつが川辺の絵だった。
それはまたもあたしの絵だった。川辺の岩に腰かけて、熱心にノートにペンを走らせているのだ。初めて狗堂山に行った時の、あの川の場面だ。
『将来の大物マンガ家。がんばれ!』
枯れたと思っていた涙がまた滲んでしまった。不意打ちだ。それにあのとき弥生はノートなんて持って来ていなかったのに、記憶だけでこんないい絵が描けるなんて、ちょっと羨ましくなってしまった。
最後の方にはお祭りの絵が描いてあった。提灯の明かりのなかであたしと弥生が楽しそうに手を繋いで歩いている。
それは名作ぞろいの弥生の絵の中でも、とびきりの傑作だった。
あたしがあの夜に地面に描いた絵よりもはるかにすばらしかった。
眺めているだけであの夜のなかに引き戻されるような、そんな絵だった。
下の方にタイトルがあった。
『人生で一番幸せだった夜』
「ふ、ううう……!」
我慢していたのに、ポタポタと涙のしずくがこぼれ落ちた。あたしは歯を食いしばってその感情に耐えた。
と、そのとき、あたしは右側のページが絵ではないことに気づいた。最後から二番目のページだ。そこには文字しか書いてあった。
ページの上の方にあたしの名前が書いてあった。それは弥生があたしに書き遺した手紙だった。
『美代ちゃんへ。
どうやらそろそろお別れのときが近づいてきているみたいなので、手が動かせる内にこれを書いておきます。
まず初めにウチが言っておきたいことは、美代ちゃんへのお礼です。
ホンマもう、どれだけ感謝してもし足りません。
ウチのわがままに付き合ってくれて、あんなめちゃくちゃな旅にまで付き合ってくれて。
美代ちゃんというお友達がいてくれたことが、ウチの人生で一番の宝物です。
ウチは子供のころからみんなに迷惑かけてばっかりで、誰かと一緒にいると申し訳ないような気がしていつもテレビばっかり観てたんやけど、美代ちゃんはちっとも気にしてなくて、気がつくといつもそばにいてくれました。
それがどれだけウチの心を勇気づけてくれたか分かりません。
前にも言ったけど、主治医の先生から今年いっぱいだって言われたとき、ウチ、めっちゃ怖かったんや。
怖くて怖くて、誰かにそばにいて欲しくて、どこかに逃げ出してしまいたくて、それであの旅のことを思いついたんや。
どうせどこかに逃げるなら、やっぱ美代ちゃんと一緒がええなーと思ってなぁ。
というか、美代ちゃんを独り占めしたいーって思ったんや。
やっぱウチ、美代ちゃんのことお母さんみたいに考えてたみたいや。
でも、まさか思いつきの親捜しが、あんなに上手くいくとは思わなかったで。事実は小説より奇なり、ってやつやなぁ。
でも、結果的にはやって良かったと思ってる。
会ったこともないひとやけど、葉山香織がどんなこと考えて、どうしてウチを捨てたのか、きちんと分かることが出来たんやから。
でもやっぱりウチ、あのひとは間違ってたと思うねん。
幸せって、あんな風に手に入れるものやないと思うねん。
というか、そもそも手に入れるものでもないと思うねん。
自分がどう生きるかとか、どう感じるかとか、そういう素朴なことなんやないかなぁと思う。
その証拠に、美代ちゃんと一緒に白海の空を見上げていたとき、ウチ、めっちゃ幸せやったもん。
お祭りのときも、山を登っているときも。
ううん、白海にいる間、ずっと。ううん、帰って来てからも。
隣に美代ちゃんがいてくれるってだけで、ウチは幸せでした。
だから、ウチが予定より早く死んじゃっても、絶対に自分を責めたらあかんで。
ウチは心の底から美代ちゃんに感謝しているんやから。
だから、自分を責めたらあかん。悲しむ必要なんかもない。
ウチの人生は最高やった!
美代ちゃんのおかげで。いつもウチの隣にいてくれた最高の親友のおかげで。ウチは悔いのない人生を生きることが出来ました。
本当にありがとう。
いつかまた一緒に笑い合える日まで。さようなら。』
それで終わりかと思ったら、最後のページには絵が描いてあった。
それはあたしと弥生が、顔を見合わせて楽しそうに笑い合っている絵だった。
この上なく楽しそうに。この上なく幸せそうに。
下の方に文字が書いてあった。
『美代ちゃんと出会えて、本当に良かった』
「バカ、なに言ってんのよ、もう!」
あたしは振り返り、棺桶にしがみついて泣いた。泣きながら言った。
「そんなの、あたしのセリフじゃん!」
弥生と出会えて良かった。
本当に良かった。
感謝し足りないのはあたしの方だ。
ありがとう。
ありがとう。
ありがとう。
あたしを支えてくれて。あたしに勇気をくれて。あたしの夢を信じてくれて。
あなたとの思い出が、あたしの一番の宝物です。
ありがとう。
ありがとう。
ありがとう。
さようなら。
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