夏空 73


 エピローグ ~旅の続き~

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 部屋のなかに吉谷さんの笑い声が響いている。

 編集者としての威厳を保つために我慢しようとしているようだが、堪え切れずに漏れてしまっている。肩も震えているし、原稿用紙の上からはみ出ている顔も真っ赤だ。

 手応えあり、とあたしは思った。もっとも、初めから自信はあったのだけれど。

 原稿を読み終えると、吉谷さんは子供のように目を輝かせて、

「いやー、最高だった。やばいよ、コレ」
「ありがとうございます」
「持ち込みでこんなに笑ったの初めてだよ。美代ちゃん、きみ、天才だよ!」
「いやいやいや、そんなんじゃ全然ないですよ」

 あたしはパタパタと手を振った。謙遜ではない。ここまでのレベルになるまで数えきれないほど描き直したのだから。

 吉谷さんは嬉しそうに再び原稿に目を落とし、

「でも本当、すごいよこれ。ベテランのギャグマンガ家の先生もたくさんいるけどさ、ここまで笑える作品は滅多にないよ。まず設定がすごいよね。女子高生のふたり組が天竺にお経を取りに行くために旅に出る、なんて話、聞いたこともないよ」
「旅する話が描きたいんですよ、あたし。おバカなことしながら、ふたりでうんと遠くへ行っちゃうような」
「それにこの主人公の二人組もいいよね。みーちゃんとやーちゃんだっけ? いかにもボケとツッコミって感じでさあ、まるで漫才してるみたいで、見てるとすっごく元気が出てくるよ」
「ありがとうございます。あたし、そういうお話が描きたかったんです」

 そう。

 あたしはあれ以来、ギャグマンガを描くようになった。

 あたしの描いたお話を読んで、色んなひとに元気になってもらいたい。

 そう思ったから。

 そういう喜びをあの子が教えてくれたから。

「よし」

 吉谷さんはあたしの原稿を見つめて、なにかを決意したように声をあげた。

「あとはオレに任せて。この原稿を編集長に叩きつけて、絶対、連載許可を勝ち取ってくるから」
「本当ですか! ありがとうございます!」
「美代ちゃんもがんばったからねー。今、二十歳だっけ?」
「二十一ですよ、もう」
「そっかー。早いもんだなー。初めて持ち込みに来たときはまだ高校一年生だったのに」
「吉谷さんにボロクソ言われて、門前払いでしたよね」
「そうそう。正直、同人誌レベルだったからねー。でも本当、よくここまで成長してくれたよ。がんばったなあ」
「友達のおかげですよ」

 あたしは言った。言いながら、ふと膝の上のカバンを指でなでた。

 実を言うとあたしのカバンのなかには、あの、弥生の日記帳が入っている。

 出版社に行く時はなぜか必ず持って来てしまうのだ。

「へえ、親友ってやつかい? いいなあ、そういうの。まさにみーちゃんとやーちゃんだね」
「はい。まさにみーちゃんとやーちゃんなんです」

 あたしは笑った。

 そして密かに心のなかで付け加えた。

 みーちゃんとやーちゃんの旅は、まだ終わってないんですよ。

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 出版社を出ると外は破壊的な暑さだった。 

 今年も観測記録を更新する真夏日が続いているらしい。

 突き刺すような日差しが街に降り注いでいた。

 ワイシャツ姿のおじさんたちが、手でひさしを作りながら早足で日影へと避難していく。

 だけど、あたしはこの季節が大好きだ。

 ギラギラと燃える太陽。セミの声。緑の葉っぱたちと、どこまでも広がる青い空。

 すべてのものが瑞々しくて、生きることをめいっぱい謳歌している。

 暑くて、明るくて、激しくて、炎のように楽しい。そんな季節だから。

「よっと」

 あたしはお気に入りのスポーツ自転車に跨り、炎天下で陽炎となって揺らめいている街のなかを走り出した。

 走りながら、ふと空を見上げて語りかける。

 見てる? 弥生。

 結局、あたしはあんたを忘れることなんて出来なかったよ。

 でも、しょうがないじゃない。あんたみたいな大ボケ娘、忘れろったって忘れられないっての。

 ベタベタな言い方だけどさ、あんたはあたしの胸のなかで生きてるのよ。

 おかげでマンガにも出て来ちゃったしね。

 だから、あのときのさよならは取り消し。

 また一緒に、あのおバカな旅の続きに出かけようよ。

 きっと前よりももっともっと面白くなるよ。

 面白すぎて、また、お腹が痛くなるぐらい大笑いしちゃうわよ。

 だから、ね。

 あたしはあの日と同じ、雲ひとつない夏の空に、笑顔で語りかけた。

 またふたりで笑い合って―― 
 
 いつまでも一緒に生きていこう!
                              THE END

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