毒親の介護はするな!親の世話は子供の義務じゃないと思う三つの理由

『親にひどい仕打ちを受けて育てられたのに、親の介護をしなければならないの?』
『大嫌いでほぼ絶縁状態に近い親なのに、親子だという理由だけで世話をしなければならないのか?』

こんにちは、天田です、
前々回、子供に悪影響を与える最低な親、いわゆる『毒親』のついての記事を書いたので、その続きです。

テーマはズバリ、『大嫌いな親の介護をしなければならないのか?』です。
毒親に育てられた人間にとって、この問題は普通のひとの介護問題よりもはるかに深刻な問題でしょう。なにしろ愛情のかけらもない、それどころか憎しみしかない相手を介護しなければならなくなるかもしれないのですから。

しかし、私はハッキリと断言します。
『毒親の介護なんてするな!』
大嫌いな親の介護をするなんて、人生をドブにすてるも同然です。
介護なんて必要ないし、世話をしてやる義理もありません。
その理由を、これから三つほど紹介します。

理由1、法律で介護放棄が認められているから

誤解しないでいただきたいのですが、一応、法律では親の介護は義務づけられています。
民法でも刑法でも明記されています。

と、こう聞くと『やっぱり親の介護は義務なのか…』とガッカリされるかもしれませんが、落胆するのはまだ早いです。

これはあくまでも『経済的・時間的に余裕がある場合』の話です。

つまり、親を介護してもちゃんと自分の生活が成り立つ、仕事に影響が出ない場合にのみ適用されるというわけです。

しかし、『年収300万円時代』と言われる現代に、それほどの余裕があるひとがどれだけいるでしょうか?

また、毒親に育てられていたひとの多くは大人になって親と別居しているケースが多いと思いますので、介護するとなると同居しなければなりません。その場合、たとえば子供が不登校だとか、夫や妻が病気がちで世話をしなければならない理由がある場合、介護の責任はないと判断されることが多いようです。

しかし、それでは経済的にそこそこ余裕がある場合や、家庭内に問題を抱えていないひとは親を介護しなければならないのでしょうか?

いいえ、そうではありません。他には『道義的な理由』もちゃんとあるのです。たとえば、親は親だけど子供が五歳のときに家を出て行ってそれきり会っていない、とか、仕事も仕送りもせず子供を祖父母の家に預けて遊び歩いていた、といった場合です。

つまり、『親としての義務を果たしていない場合』は、『どの面さげて介護しろと言うのか。恥を知れ』とむしろ家庭裁判所の裁判官に毒親の方が叱られることさえあります。

このように、『一応法律で介護は義務付けられているけど、事情によって責任を負わなくてよくなることもたくさんある』というのが、私が毒親を介護しなくて良いと考える理由その一です。

もちろん、向こうが裁判所に訴え出て、裁判所から『扶養の義務がある』と判断されればしなければいけませんが、そこまでして介護を求める毒親は稀でしょう。

運悪く毒親が訴えてきたとしても、弁護士をつけ、正々堂々と『自分がどんな仕打ちを受けてきたか』を主張すれば良いのです。

理由2、道徳は何の役にも立たないから

親の介護をしなきゃいけないと思う最大の理由は、実はコレなのではないでしょうか?

『親を世話するのは人間として当たり前』
『親を世話するのは子供の義務』
『親の世話をしない子供は鬼畜』

というような道徳観です。
しかし、私はこのような道徳観は『くそくらえ』だと考えています。

なぜかというと、これは『暖かい親に育ててもらえたひとの意見』に過ぎないからです。
人間としてまっとうな親に育てられてひとは、毒親に育てられた苦しみをまったく理解していません。
それどころか、想像すらつきません。

ただただ自分の家庭環境や親との関係から『親は大事』、『親に感謝』、などと言っているだけなのです。

これはたとえるならば、健康な体を持って生まれたスポーツマンが、生まれつき重い病気を抱えて運動できないひとに『もっと運動しろよ! 運動すると気持ちいいぞ! なんで運動しないんだ?』と言っているのと同じことです。
どれだけ残酷で、恥知らずなことを言っているのかが分かっていただけると思います。

私がとても尊敬している心理学者である加藤諦三先生の本にも、同じことが書いてあります。

親や同胞を憎むなどということは、心の健康な人にとってはとんでもないことである。許すべからざることである。愛と感謝と尊敬を教えなければならないかも知れない。しかし心の健康な人達は、心の病んだ人達が親同胞からどのような侮辱、どのような辱め、どのような傷を受けたかということは想像できない。

(加藤諦三 著 『自分に気づく心理学』 PHP研究所)

このように、『まともな親に育ててもらえたひとは、毒親に育てられる苦しみや憎しみをまったく理解していない』のです。

だからこそ、『親なんだから、介護するのが当然』ということを平然と言えるのです。

しかし毒親に育てられた側からすれば、『親だから介護したくないんだよ!』と言いたいと思います。

自分の実の親から、どんな仕打ちを受けたか。どんなひどいことをされたか。
どれだけの傷を負わされたか、どれだけの恐怖を植えつけられたか。
『家庭』という逃げられない檻のなかで、どれだけの理不尽な扱いを受けてきたのか。
どれだけ、憎しみを抱いてきたか。

そのことを、『健全な家庭』で育ったひとは絶対に理解できません。
理解しないまま、『介護は子供の責任だ』などと自分の物差しだけで言っているに過ぎないのです。

いうまでもなく、介護とは本当に大変なことです。
肉体的にも精神的にも、また時間的にも経済的にも大変な負担を強いられます。『介護うつ』などという言葉もあるほど、肉体も精神も疲弊します。

それでもどうにか介護を続けられるのは、『親への愛情と感謝』があるからではないでしょうか?

なら、その『愛情と感謝』がまったくない毒親が相手だった場合は?
介護なんてできるわけがありません。

これが、私が毒親の世話をしなくて良いと考える理由その2です。

理由3、あなたには復讐の権利があるから


『復讐は何も生み出さない。相手を許すことが大切』

映画や小説や名言集などで、こういう言葉は良く耳にします。

が、これは『キレイ事であり世迷言でしかない』と私は思っています。

確かに、たとえば暴力を振るわれたからといって暴力を返せば、さらなる暴力を招いてしまうこともあるでしょう。

しかし、ときには立ち向かわなければ相手がつけあがり、さらなる一方的な暴力を呼び込んでしまうことだって現実にはあります。

私は『自衛のための復讐』ならば問題ないと思っています。

たとえば誰かに暴力を振るわれたら、自衛のためにすぐさま警察に通報する。
当たり前のことですが、これだって立派な復讐です。
『こんなことされたから、警察に通報して牢屋に入れてやる!』
という復讐心がまったくないとは誰も言えないでしょう。

毒親に対してもまったく同じです。
あなたには、あなたに理不尽な行いをしてきた毒親へ復讐する権利があります。

もちろん、暴力を返してはいけません。
悪口や暴言を返すこともオススメしません。

ただ、縁を切れば良いのです。
『あなたたちとはもう、親子ではない。よって介護をはしない』
という態度を貫くのです。

連絡先を教えないのも手です。
見知らぬ土地に引っ越すのも良いでしょう。
『あなたたちとはもはや他人である』
と、言葉や態度で宣言し、介護を放棄する。
そのことによって、あなたの精神や生活を守ることが出来るのならば、これこそ自衛のための復讐です。

毒親に対して、『あなたたちが私に対して行ってきたことは、親子の絆さえ壊してしまうほどひどいものだったんだ』と無言で告げてやるのです。

繰り返しますが、あなたにはその権利があります。
少なくとも、私はそう思います。

私も毒親に育てられた

ここまで読めば、私もまた毒親に育てられた人間であることが分かると言います。
もっとも、私の場合は軽度な毒親でしたので、世の中にたくさん存在しているような本当にひどい毒親たちと比べると軽いものですから、『こんな程度で毒親に育てられたなんて言って欲しくない!』と思われてしまうかもしれませんが。

しかし、私もそれなりに毒親の被害を被ってきました。
特に父親がひどかったです。

子供のころの私は、常に父親に怯えていました。
いつもイライラしていた父は、私が少しでも気に食わないことをすると怒鳴りつけていました。
いいえ、気に食わないことをしなくても怒鳴りつけていました。

『ぼーっとテレビ見てんじゃねえよ!』
『さっさと飯食えよ!』
『うるせえな、向こうで泣いてろ!』

というように、たとえ泣いても許してはくれませんでした。
暴力を振るわれたこともあります。それもグーで殴られました。
その恐怖と理不尽な扱いに対する憎しみは、正直未だに私の心のなかに残っています。

もちろん、大人になったためにある程度は軽減されましたし、毒親とはいえ一応は育児責任を果たしてくれてはいたので、愛情や感謝の気持ちも今なら多少はあります。
でも、なかには私などとは比べ物にならないほどのひどい扱いを受けて育ったひとも数多くいるでしょう。

そのひとたちに対して、『自分の親なんだから介護するのが当然だろ!』なんて、私は口が裂けても言えません。

ここでまた加藤諦三先生の言葉を紹介します。私が最も好きなフレーズです。

もし今あなたが信じているように、あなたが育つ家庭であなたの近くにいた人が心の暖かい人だったら、どうしてあなたは生きることの不安と恐怖に今怯えているのだ。なぜあなたにとって夜がやすらぎではなく恐怖なのだ。
 なぜ多くの人々が昼は活動的に働き、夜はぐっすりと眠っているのに、あなたは昼は何かに追われているように焦り、夜は暗さに怯えているのか。
 なぜ多くの人々が仲間と生きることの苦楽を共に味わっているのに、あなたは一人も親しいひとができないのだ。
 同じ人間なのに、どうして違ってしまっているのだ。

どうして違ってしまっているのでしょう?
簡単です。

あなたの親が毒親だったからです。

なお、自分の親が毒親かどうかを確かめたい方や子供への影響を知りたい方は、こちらの記事を参考にしてみてください。

関連記事『毒親の特徴と対処法!憎いクズ親から逃げる方法は?子供への影響も』

毒親の介護をして得することは何もない

果たして毒親を介護して得られるものは何でしょうか?
世間の評価でしょうか?
愛情を満たされることでしょうか?
親子の絆を取り戻せることでしょうか?

私は、違うと思います。
それらは、決して毒親の介護をしても得られません。

まず、世間の評価など何の役にも立ちません。
介護をしたところで褒められるわけではないし、褒められたところであなたの苦しみは軽減しません。

愛情が満たされることもありません。なぜならあなたは親を愛していないし、親もあなたを愛していないからです。ただ奴隷のようにこき使われて、感謝もされずに終わるだけです。
お互いに愛情が満たされるのは正常な親子関係にあった場合のみです。

親子の絆も、当然ながら修復されません。この程度で修復されないからこそ毒親なのです。

つまり、毒親の介護をすると『時間もお金も搾取され、こき使われた挙句、感謝もされなければ心の満足感も得られない』という最悪な状況になってしまうのです。

まとめ 毒親の世話はしなくていい!

結論から言えば、毒親の介護なんてする必要はありません。
散々、子供の人生を狂わせておいて、老後になってから頼ってくるなんて虫が良すぎます。

向こうが裁判所に訴えて、『扶養義務がある』と判断されてしまった場合は仕方ないですが(その場合も弁護士を立てて不服申し立てをするなど、覚悟を決めて徹底的に戦いましょう)、それ以外の場合は可能な限り拒否するべきです。

今現在、毒親の介護をするべきか否かで悩んでいるひとはぜひこの記事を参考にしてください。
それでは、また。

なお、毒親に育てられた私がどのような学生時代を過ごしたのか、また、どうやって克服したのかを知りたい方は、ぜひこちらの記事もご覧下さい。
『自分が嫌い…でも愛されたい、認められたい。無価値感の克服法』

※こちらの記事も人気です!

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